ネットリテラシーと表現の自由について

インターネットリテラシーと表現の自由についての考察。バランスのとり方

ブログ記事を書き始めるにあたって、改めてネットリテラシーと表現の自由について調べてみた。
というのも、ここ数年、何らか情報なり自分の考えや意見を発信する事に身構えてしまっている自分がいる。

たかがブログ、されどブログ。。

数年前なら、そこまで深く考えもせずに記事を投稿できていたと思う。
勿論、できる限り有益な投稿は心がけていたし、誰かを傷つけてやろうなんて目的でもって文章を書いたことは一度もない。

SNSにしても、もっと気楽に楽しめていたはずなのに、今は考え過ぎて文章が書けない。気軽なつぶやきを短文で投稿できるTwitterでさえも、黙り込んで他人のツイートを眺めているだけになってしまうという悪循環。。情報発信にはとても便利なツールであるはずなのにである。

きっと他者を傷つけたくない、トラブルを避けたいと考える繊細な人の中には、僕と同じように発言・発信できなくなっている人がいらっしゃるのではないだろうか?

「炎上」なんてこわい言葉が当たり前になって、中にはゴォゴォと燃える炎を愉快愉快と利用するトンデモナイ輩もいるらしい。。

なんちゅう恐ろしい世界じゃ…

記事内容によって誰かを傷つけることにはならないか?もちろん多方面に配慮する必要はあるが、「この文章を見たどこぞの誰かが傷ついたりしないかしらん?」と熟考しての執筆は窮屈この上ない。

しかし自分が面白いと感じた情報を発信できないのは残念でならんので、何とか正しいネットリテラシーを勉強しよう、そうしようと思ったのだ。調べてみると正しくはネットリテラシーではなく「情報リテラシー」と言うらしい。

情報リテラシーについて

「ネットリテラシー」で検索すると「情報リテラシー」というWikipediaページが存在したので読んでみる。

情報リテラシーとは

情報リテラシー(じょうほうリテラシー、information literacy)とは、情報 (information)と識字 (literacy) を合わせた言葉で、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のことである。「情報活用能力」や「情報活用力」とも表現する。

Wikipediaより引用

Wikipediaには難しい事が書いてあるのだが、情報リテラシーという言葉には情報発信者側と閲覧者側という区別はないようだ。

ざっくり言うと『情報を利用する者の心得』が書いてある。

併せて「メディアリテラシー」の項目にも目を通しておいたが、内容は似通っているように感じた。要は「メディア情報を利用する者の心得」だ。

へぇーそうなんだと感心したのが、情報リテラシーが備わっている人の条件として「批判的に情報や情報探索過程を評価できる」という部分。批判的というのは情報を精査できる能力を指していて、1情報を鵜呑みにせず本当に正しい情報なのか自分で考えられる能力のことだと思われる。要は、情報なんてものは疑ってかかるくらいがちょうど良いって事なのだと思う。

昨今、あえて炎上を狙ったような紛らわしいタイトルのニュースなんかが、盛大に燃え上がったりしているのは情報リテラシーの低いユーザが情報を鵜呑みにして騒ぎ過ぎたりしているのもあるのだな。なるほど、情報リテラシーをしっかり学んでいる若年層のほうが、炎上情報に踊らされ難いような事も書いてあって、なんだか感心してしまった。

今後、情報リテラシーを有する人が増えていけば、炎上商法なんかは全く通用しない健全な状況になるのだな、きっと。ふむふむ。

情報発信者が気を付けるべきこと

※ブログ記事を執筆するにあたって、主に他者への配慮を中心に纏めてあります。自身のプライバシーを守る事等も情報リテラシーには含まれますが今回は割愛します。

  1. 誹謗中傷しない。

    誰かを傷つけたり不快にさせたりする内容を書き込まない。
    他者の文化的背景等への配慮は怠らず尊重する姿勢を忘れない。

  2. 名誉毀損にあたる事はしない。

    悪意を持って個人や企業の信用を貶める内容を投稿しない。
    また他者の著作権・知的財産権への配慮を怠らない。

  3. 嘘の情報発信はしない。

    根も葉もない噂を書き込まない。情報は可能な限り正確に。できるなら個人の主観(主張)である部分は明示し、ユーザに情報の精査を促す。
    複数の情報源を使用して自ら発信する情報の正確性を上げる努力を怠らない。

  4. 犯罪行為にあたる内容の投稿はしない

    これは当然あかんです。ダメ絶対!

表現の自由について

ブログが書けなくなった僕のような人の中には、ネット上でのモラルを意識し過ぎるあまり、本来ならそれと同等に意識すべき「表現の自由」の方を忘れてしまっている人が居るかもしれない。少なくとも阿呆な僕の頭からは完全に「表現の自由」という概念が抜け落ちてしまっておりました。

なので、改めて「表現の自由」についてもWikipediaを参照してみます。

表現の自由(ひょうげんのじゆう、英: freedom of speech)とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利。外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。 他はこれを侵害する事は許されない。

Wikipediaより引用

おお!これはなんとも力強い内容ではないか。

「内心における精神活動がいくら自由でもそれを外部に表明する自由がなければほとんど意味をなさないから、表現の自由はいわゆる精神的自由権の中心的地位を占める」とも書いてある。

ただし「表現の自由の限界」という項目がある。ここを見逃してはいけない。
表現の自由が、その濫用によって他者の人権を侵害してはならない。

上記には同意するので、気を付けようと思う。

表現の自由を行使する上で気を付けるべきこと

表現の自由に関するWikipediaページには「表現の自由の限界」という項目で書いてあるが、情報リテラシーのページの内容にも重なる部分が多いので気を付けよう。

以下は表現の自由の問題点として書かれているが、個人的に配慮しておきたい点でもあるので忘れないように書いておく。

  1. 差別的(と判断される)表現・憎悪表現(ヘイトスピーチ)を避ける。

  2. 名誉・プライバシーを侵害しない。また保護に努める。

  3. 猥褻表現をしない。

ここからは僕の主観であるが、Wikipediaでの「表現の自由の限界」の項目において限界という表現が用いられているのは、特に芸術において表現の中には「憎悪」が糧になった作品だったり、エロスを美として表現したものもあるので難しい問題なんだと思う。パンクロックだって初期のものは憎悪吐き散らしてたはずだしね。

とはいえ、このブログで何かヘイトしたい事がある訳でも、エロを書きたい訳でもないので上記3項目は順守しておいて悪い事はなかろう。

「情報リテラシー」と「表現の自由」の関係

僕の場合は「情報リテラシー」という言葉への理解不足から、過剰にモラルを意識し過ぎて「表現の自由」という素晴らしい権利を行使できない窮屈な状態に陥っていたようだ。

「ネット 表現の自由」で調べてみたところ、日本での行き過ぎた「表現の自由に対する自主規制」の問題についての報告があった。

どうやら真面目で道徳意識の高い人ほど、過剰に表現の自由を自主規制してしまう傾向にあるようだ。

賢い人ほど黙ってしまい、他人を慮る事をしない人ばかりが自己主張しまくっているような状況は、正直あんまり面白くないなぁと個人的には思っている。

勿論、他人の目を気にせず自身の主張を声高らかに発信する人を批判するつもりはないし、むしろ、その強靭な精神力には尊敬の念を抱いている。ひょっとすると閲覧者の情報リテラシーを信頼しているからこそ、自由に発言・発信が出来ているのかも知れない。そう考えると見習うべき部分が大きいなと感じる。

「情報リテラシー」と「表現の自由」の関係においてはバランスが大切!

ネットモラルに関係する「情報リテラシー」と自由に意見・情報を発信する「表現の自由」とのバランスが大切なのだと、ここまで調べてみて感じている。

理想のバランスは50%ずつ、半々で調度いいのではないだろうか。

まとめ

あらためて「情報リテラシー」と「表現の自由」に関して調べてみると、大変興味深かった。

今後上記の「情報発信者が気を付けるべきこと」には十分気を付けて、ブログの運営にあたる事にしようとは思うが、あまりに固くなり過ぎて「表現の自由」を忘れてしまってはいかんので、ある程度気楽に文章を書いてみようと思う。

調べてみると、結構「ブログが書けない!」といった悩みを持つ人は多くいるようだ。
トップブロガーさんの助言では、完璧主義がブログが書けない要因として最も大きいらしい。確かに情報を調べていると綺麗に纏まった分かりやすいブログが上位検索結果を占めている。

どうしたって『自分も同じように優良記事を書きたい!』って欲が出るんですよ、人間だもの…恥ずかしいけどね。

しかし最初から無駄のない完璧な情報ブログが自分に書けるとは思えん…
簡潔に文章を纏めるセンスもないのなら同じ土俵で勝負しようとすることからして間違ってたんだな。

尚、今回僕が得た情報元は全てインターネットからのものだ。間違いなく主観を多く含む文章であるので、このページを閲覧下さったユーザ様には、情報を十分に精査してもらえると有難いです。

発信者と閲覧者が、相互に高い情報リテラシーを有していけば、情報の価値や多様性は益々広がって面白くなるんじゃないかな。

賢くインターネットを活用して面白いことは貪欲に吸収、発信していきたいものですね。